選手から、伝える側へ
小6から大学まで選手としてプレーし、
卒業時にはプロへの道もありました。
選んだのは、関西テレビ放送。
1993年に入社し、スポーツ部で、
サッカーを中心に番組制作・取材に携わりました。
取材現場で撮影した素材を編集し、コメントをつける。
数十秒のニュースから長尺の番組まで、
何を残し、どの順序に置き、
どんな言葉を添えるかによって、
伝わるものは変わります。
スポーツ中継では、
編集番組とは別の技術が求められました。
試合はその場で進み続けます。あとから素材を選び直すことはできません。
一瞬ごとに、何を捉え、何を画面に残すかを判断する仕事でした。
この経験は、現在の指導や執筆にも残っています。
試合の結果、その前に起きたこと、関わった人、それぞれの立場までたどって見ること。
現場を扱うときの最初の習慣は、このときにつくられました。
番組制作では、スペインのサッカーも取材しました。

30歳で、スペインへ

指導者になるため、2001年、退社後にスペインへ渡りました。
スペインサッカー連盟の指導者養成では、
技術や戦術だけでなく、心理学、物理学、スポーツ法まで扱われます。サッカーを「学問」として学びながら、地域クラブでは実際に育成年代を指導しました。
資格取得と現場を並行させ、その後RCDマジョルカ、ヘタフェCFへ。地域クラブからプロクラブの育成現場まで経験を重ね、2006年にUEFA PROライセンスを取得しました。
三十歳でスペインへ渡ってからのことは、note「蹴道」に書いています。
育成を、部門とピッチの両方から
2007年に帰国し、セレッソ大阪の育成部長に就任。2009年にはU-18監督も兼任しました。
育成部門の体制を基盤から組み直す一方、U-18では監督としてチームを指導。
組織の仕組みを整えることと、選手たちが実際のピッチでどう判断し、どう関わるかを見ること。その両方を担いました。
2009年、日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会で優勝しました。

16年間、スペインと日本のあいだで

2010年、株式会社LUCKMANを設立。
同年から2025年まで、バレンシアCFオフィシャルアカデミージャパンの名称のもと、アカデミーを運営しました。
当時の日本では、
バレンシアCFの名前だけでクラブの価値が伝わるわけではありませんでした。
毎年スペインと日本を往復し、遠征や留学にも帯同。
スペインで育まれてきたフットボールを、
そのまま持ち込むのではなく、
日本の選手や現場の中でどう伝えるか。
現地で更新されていく育成の考え方やトレーニングに触れ、
それ を日本のピッチで実践し、また見直す。
選手への指導だけでなく、保護者との共有、指導者・スタッフの育成、スペイン側との調整を含め、両国のあいだで現場をつなぐ日々でした。
一回のトレーニングをつくる仕事と、
育成環境を何年も続ける仕事では、扱う範囲が変わります。
16年間で、指導内容に加え、役割、人材、情報、運営まで含めて現場を見るようになりました。


仕事の基準
一貫して扱ってきたのは、
人の中にある、
まだ出ていないものが出る条件です。
選手なら、持っているものがプレーとして現れること。
指導者なら、自分の判断で現場を動かせること。
組織なら、決められた役割や方針が、実際の仕事につながること。
指導、留学、組織設計、講演・執筆は形が違っても、この基準でつながっています。
現在の仕事
四つの領域に、六つのサービスを置いています。
書いたものには、経歴の外側が残ります
中谷吉男の考え方は、note『蹴道』で継続的に公開しています。
扱っているのは、フットボール、育成、組織、制度、社会。
プロフィールだけでは分からない、
出来事のどこを見て、何に引っかかり、
どう考えたのかまで読むことができます。
相談や依頼の前に、どのように物事を見る人なのかを確認できる公開資料でもあります。
中谷吉男の略歴
1993
関西テレビ放送に入社。スポーツ番組の制作・取材に携わる。
2001
スペインへ。育成年代の指導に携わる。
2006
UEFA PROライセンス取得。
2007–2010
セレッソ大阪育成部長。2009年はU-18監督を兼任し、日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会で優勝。
2010
株式会社LUCKMAN設立。
2010–2025
バレンシアCFオフィシャルアカデミージャパンを運営。
現在
El Paso Field Clinic、ONLINE SESSION、スペイン遠征、スペインサッカー留学、組織・育成設計コンサルティング、講演・研修・執筆を展開。
仕事の相談は、サービス名が決まっていなくても構いません。
現在の状況と、考えていることをお送りください。




